大切なペットへの最後のプレゼント「てんみょう」

・ ペットの死(ペットロス)に際して ・

ペットを失った悲しみ
ペットと死別されたあなたやご家族は、耐えがたい悲しみの中にあるのでしょう。その気持ちはよくわかります。生前のペットの姿を思い出してはその愛くるしさに悲しみは増すばかりです。
「もっとかわいがってあげればよかった」とか、「もっと早く病院に連れていってあげれれば助かった」とか、自分自身を責めている方もいらっしゃるのではないでしょうか?
家族同様に過ごしてきたペット達が、私たちの人生をどれほど豊かにしてくれたことか。どれほど寂しさや苦しみを救ってくれたことか。そんな思いが、次々と去来してまいります。
最近では、ペットを失った悲しみや自責の念のあまり体調をくずされたり、精神的に不安定になる方も多いと聞きます。最愛のペット達との別れは、どなたにとっても辛く、時にはその喪失感におしつぶされそうになります。しかし、その悲しみをいったん受け入れ、こんどは立ち直る事に意識を切り替えましょう。

悲しみをこえて
わたしは住職ですから、少し仏教の話をさせていただきます。
この世の生きとし生けるもの、すべてに生があり死があります。この世界の命あるものは全て無常なのです。
「そんなことわかっている」とおっしゃるでしょう。でも本当にこの事を理解できたら、いや感じとることができたならば、そんなに悲しむ必要はないのです。では、ペット達の死をどのようにとらえればよいのでしょうか?
生まれてきた命にまったく平等にあたえられた運命は、「死」だけですよね。その死がどんなに悲惨でも、たとえ飼い主の納得いかないものであったとしても、それはあたえられた運命なのです。
仏教では、地球を含む宇宙の真理の働きは、人間はもちろん動物たちの生きとし生けるものすべての中にあると考えます。すべての生命の中に仏性があると考えるわけです。
私たちは目には見えないけれど、大きな摂理のなかで生かされているということです。
この世があるから、あの世があるのではないのです。あの世があるからこそ、この世があるのです。
すべての生命は時がたてば帰ってゆくのです。死とは命を別の所へ運ぶということです。
諸行は無常。移りゆくものに心奪われる者は、時として正しいものの見方ができなくなり、自分を見失ってしまいがちですが、悲しみをのりこえてまいりましょう。

ペット供養とは
供養とは、まず尊敬や愛情の心のあらわれです。
その恩恵にたいする感謝の気持ちを表現する儀式です。これがまず基本にあります。
そして忘れてはならないのは、愛するペット達の死に際して、人間側の「執着」をとりさる儀式でもあるということです。生前私たちを癒してくれたペット達に、心からの感謝の気持ちを表すのは、自分なりの言葉でかまいません「ほんとうにありがとう」と言う気持ちで手をあわせれば、それが立派な供養となります。
ご家族の宗派や宗教によっていろいろなやりかたがあると思いますが、なにより肝心なのはその心、その気持ちですから、たとえたどたどしい言葉であってもかまわないのです。亡くなったペット達が、きっと喜ぶだろうと思うやりかたでよいのです。
そして、みなさんの愛したペット達が、あの世で楽しく生きることを信じきってあげてください。
信じることができたら、あなた自身も悲しみをすてて、いたずらに執着することなく、本来の姿にもどってください。それが亡くなったペット達への感謝を行動で表すということです。
「てんみょう」は私たち日本人が普段から慣れしたしんでいる戒名に似て、受け入れやすいことでしょう。
また、ご自宅でご家族や友人たちとともに供養をおこなうのに大変適しています。
亡くなられたペット達への最期のプレゼントとして十分なものと思います。

「てんみょう」がペット達と人間のすばらしき架け橋になりますように。
合掌

真言宗智山派  高嶋山歓喜寺佛乗院
住職